例えば、英文法や英単語の参考書を開いていると「TOEICでも受けるんですか?」とか、「海外旅行ですか?」とか。
法律や税務関係の参考書を読んでいると「何か届出?」とか、「資格受験ですか?」とか。
「別にぃ」と言うと(?。?)な顔をされる。単に興味とお勉強って駄目?
知ることが面白いとかでは駄目?何かを勉強していて、ふっと樹形図的に関係がつながった感とかって楽しいと思うのです。古典や漢文読んで1000年以上前の人も、同じような事で「ぶつくさ」してたのね、とか、「悩んでいたのね」と知ることとか。
学習は試験のためのものとか、何か処理するためのツールや方法論とかに思われている感じが、最近特に強いように感じるのは私だけ?
スキルアップ&リスキリング全盛の感。
武道でも、「一番強いのは何か」とか、「護身術になりますかぁ」とかも、同じなのかな。
役立つとかツールになるかとかでなくてはダメなのかしら?
単に興味があってとか、やってる時間が楽しいとか、学ぶそのプロセスやその場に見を置く事が好きっていうのもあっていいような気がします。
好きで、続けるのが、一番。長く続いている人は、努力とか時間を作って頑張ってるなんて、あまり思っていない。道楽的な気分の側面もないと10年単位で続かない。
目的とかツールとしての意識があると、自ずとタイムパフォーマンス、コストパフォーマンスといったゴールに至るプロセスの効率性が問題になるのだろうけど、それだと修行や稽古というより「苦行」になりやすい気がする。
好き嫌い関係なく、最近のDX推進の風潮。キーボード触るのも億劫な中高年がデジタルスキルアップ講習なんて辛いと思うもの。
コロナ禍でしみじみ感じた事は、不要不急と言われるものに各自の大事なものがあること。2020年4月の緊急事態宣言から5年が過ぎる。